日本初・鉄(かね)の橋 2
横浜開港直後、朝廷は開港に反対して江戸幕府へ勅使を向け、擁夷を求めましたが、この折、勅使の護衛として従ったのは薩摩の島津久光でした。
久光の行列が現在の鶴見区生麦町にさしかかったとき、とも先を馬に乗った四人のイギリス人が横切りました。
日本では、身分の高い人の行列をさえぎることは無礼討ちという時代です。
薩摩藩士はその場で一人を斬殺、三人を傷つけました。
この事件を知ったイギリス本国は、ただちに軍艦十二隻の艦隊を横浜に向けて、幕府に莫大な賠償を要求しました。
幕府はこれを拒否したため、イギリス軍は上陸、艦隊は鹿児島港に向って砲撃を加えました。